人権教育 - Human Rights Education

2013年8月の記事一覧

大島青松園との交流会


  平成25年8月9日(金)にハンセン病患者に関する人権問題を理解するため,
 大島青松園を訪問し,島内の見学と徳島県人会の方たちとの交流会を行いまし
 た。
 
  人権委員や希望生徒24名,教職員10名と保護者1名は9時過ぎに学校を出
 発しました。この交流会には,徳島県ハンセン病支援協会会長である十川勝幸
 さんに同行していただきました。そして高松港までの移動の間,ハンセン病につ
 いての説明を受けました。
  高松港から官有船で約20分,大島に到着しました。しかし,ハンセン病患者 
 の方々にとっては,長い間渡ることのできない距離でした。
  島に到着すると,暑い中入所者の方が港でにこやかに出迎えてくれました。

    
  〈研修1〉 島内の見学

  到着後,早速,島内の見学を行いました。少し坂道を上ると『納骨堂』に着き,福祉
 課長から説明がありました。

  青松園の納骨堂には明治42年の開園後に亡くなられた,2千体あまりの遺骨が納
 められています。ハンセン病患者に対する差別のため,亡くなられても故郷の墓地に
 埋葬することができないためここに置かれています。

  納骨堂の側には,3つの石碑があります。そのうち『南無佛』と記されたものは,納骨
 堂ができる前に亡くなられた患者の遺骨が埋葬されています。また,『鎮魂の碑』は園
 内で結婚するためには断種を強制されたため,生まれることができなかった胎児への
 哀悼の意を表すものです。

 

 
  その後,患者の方々が園内にいながら四国八十八カ所巡礼ができるよう設けられたミニ
 八十八カ所のご本尊の石像の側を通り,『風の舞』のモニュメントへ

 


  風の舞は「せめて死後の魂は風に乗って島を離れ自由に解き放たれふるさとへ帰れるよ
 うに」との思いを込めて,見晴らしの良い高台に作られたモニュメントで,亡くなられた患者
 を火葬し納骨した残りの骨を納めています。


  その後,坂道を下り海岸近くの「解剖台」へ。

  この解剖台の上で,昭和30年頃まで遺体解剖が行われていました。患者はみんな入所
 時に解剖承諾書への署名を促されたそうです。この解剖台は,一度海中に投棄されていた
 ものを再び引き上げたそうです。



 〈研修2〉 徳島県人会の方との交流会

  昼食後,大島会館内で徳島県人会の方々との交流会を行いました。
  まず,自己紹介を兼ねて県人会の方々より,発病から青松園入寮までと現在の生活など
 についてお聞きした。そのなかで,発病が太平洋戦争中~戦後の栄養・衛生状態が決して
 良くなかった時であること,ハンセン病が発病していると分かったときの周囲の人々からの
 差別的な視線やいじめなどにより故郷に居づらくなったこと,平成8年に「らい予防法」が廃
 止された後も,家族に迷惑がかかることや高齢になったことなどにより,社会復帰ができな
 かったことなどを話していただきました。
  その後,私たちの質問に答えてくださいました。その中で,「ハンセン病患者への理解は
 らい予防法による隔離政策によりその機会を失ってしまった。皆さんには,今日の経験を他
 の人たちに話してほしい。」との言葉は,重く切実なものでした。

  
  交流会の後,映画「風の舞」を鑑賞しました。
  
  帰りも入所者の方たちに見送られながら,大島港より高松港に出港しました。